2011年4月25日月曜日

コミュニティー

私は前にも述べたが、地方出身者である。
自然いっぱいの田舎で育ち、高校を卒業し、進学した先の鹿児島が人口50万人程度であった。
今住んでいる宇都宮市とほぼ同じ人口だ。
感想としては鹿児島のほうが山が街に迫っているせいか、家が建てこんでいてゴミゴミした感じがする。
どちらかというと僕の育った宮崎の空の広さ、広々とした感じは宇都宮のほうが近い。
大淀川、鬼怒川 大きな川が流れているのも似ている。しかし、海がないのは決定的に違う。

特に両親の出身地であり、僕も生まれた日南市飫肥には親戚縁者もごく狭いエリアに居住しており、何かといえば集まっている。
今でも帰省の折には、叔父叔母の家に立ち寄り、よく世間話をする。
最近は、いとこの子供の結婚話や就職先での出来事が話題に上っている。
僕の心の支えになっている。
ちなみに飫肥の有名人は小村寿太郎である。

職場のコミュニティーの状況について思うことがある。
これまでの会社組織は、働くという機能組織と普通の暮らしの共同体組織の2つの機能を備えていたように思う。
その2つのバランスで企業で働く人々に安心感を与えてきたのではないか。
例えば、家族ぐるみの旅行・運動会・子供の入学、卒業まで考えられた福利厚生、みんなで参加する職場旅行など会社が日常の共同体を形成し、一途に働いて会社のため、会社が個人を暖かく守ってくれる。上司が面倒をみてくれた時代があった。
それを象徴してきたのが、日本型雇用の特徴(終身雇用、年功序列、企業内組合)であろう。
これらが機能していた時代日本は、地方からの労働力を供給を得て、高度成長してきた。
徐々に生活が豊かになり、マイホームにはカー、カラーテレビ、クーラーなど3Cが揃った。

その後、21世紀を前に経済成長の伸びが鈍化し、企業生き残りのためにこれまでの年功序列の賃金体系・評価体系・福利厚生を変えざるを得なくなってきた。
そこで職場が本来の機能組織となり、無駄を省き贅肉を削ぎ落としはじめた。
成果主義に移行した。
本来であれば、歓迎すべきことなのであろうが、一方で職場を支えてきた共同体機能が低下し、日本人のメンタリティーに微妙に影響を与えてきたのではないか。
地縁・血縁から会社縁に変わり、それらが支えてきた共同体機能が低下したこと、職場での課題が発生しているのではないかと考えている。
今はまだ過渡期だと思う。

そこで漠然とではあるが、根っこを持つのは大事だと思っている。
具体的に表現するのは難しいので、もう少し考えてみたい。(中途半端な文章でゴメンナサイ)

僕の住んでいたコミュニティーには当時フットボールはなかった。サッカー部もなく、みんな野球少年だった。その時の僕のアイドルは、オランダの14番ヨハンクライフだった。



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